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投稿日:2009/10/11 23:03
二人の歌うたい
同一人物で、
でも全くの別人で、
まるで正反対のことを言っているようで、
根底にあるのは全く同じもの。
若干補足。
とあるとこにもちょこっと書きましたが。
クレスは歌よりも“聞いてくれる人”に重きを置きます。
歌は誰かに聞いてもらうもので、
一人で歌う歌もそれは確かに楽しいけれど、
やっぱり歌うなら誰かが聞いてくれていてほしいと思っている。
それは、自分の歌でもしかしたら誰かをちょっとでも幸せにしたり、
ささやかな夢を見させたり出来るかもしれないという憧れや、
自分の声が誰かに届くという事実を確認したいという不安から生まれてきていたりする。
人に届かないと知っていてあえて歌い続けるよりは、
人に届く歌を歌おうとする。届かせようと努力をする。
同じ歌を歌うのなら誰かがより幸せになれるよう歌いたいと願う。
逆にいえば、誰かの心を抉るような歌は、その人に聞こえるところでは決して歌わない。
歌を自分の存在理由の為の手段にしていると言ってしまえばそれまでだけど、
でも、やっぱりクレスの根底にある思いは、
「歌は誰かを幸せにしてくれるものであってほしい」という願い。
歌が人の心に届くこと、癒してくれること、時に傷つけることをよく知っているから、
せめて自分はそこにある歌を、
「歌う」ことで誰かを幸せにできるようなものに昇華させられたらいいなって思ってる。
歌が大好きだから、だれかにこの歌を聞いて欲しいから。
そして、少しでも幸せになってほしいから。
一方のネウは、聞いてくれる人の存在よりも“歌”そのものに重きを置きます。
他人の存在なんて最初から頭に置いていない。
純粋に、そこにある歌、物語を愛していて、
「歌う」ことは、その歌や物語に命を吹き込ませる行為だと思っている。
それがたとえどんな悲劇であっても、ネウは歌うことを厭わない。
ネウはその悲劇の内容に心をかけない。
ただ、その事実があり、そこに人がいて、何か想い、行動した、
その全体像や、世界という存在そのものを尊いと思っている。
ネウは自分の感情よりも何よりも歌という人の感情から生まれたものを尊重する。
その歌が人を幸せにしてそのことが自分も幸せにしてくれるかも云々なんて考えない。
その歌を誰かに届けたいとも考えない。
その歌が誰かを傷つけるかもしれないとも考えない。
ただそこにある「歌」という存在が愛しいと思う。
だから歌う。命を吹き込んで、歌が歌である為に歌う。
恐ろしく純粋だけど、それは自己完結していてそれ以上何も起こらない。
ネウは自分の存在意義やら何やらについて迷うこともない。
歌にどれだけ命を掛けられるかと問われたら、
クレスは少し戸惑うだろうけど、
ネウは迷うことなく己の全てをと即答出来る。
表と裏、表裏一体。
けれど一枚のコインであることに変わりはないのです。
